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みぎまつコラム

国政全般

首相公選制の危うさ

2008年09月06日

 中曽根元首相が40年前に提唱し、小泉元総理が2001年に「首相公選を考える懇談会」を設置したことで一躍国民的論議を巻き起こした首相公選制ですが、一時のブームも過ぎ去り、最近では影が薄く、議論される機会もめっきり減ってきた感があります。  しかし、政治課題としてまたいつ俎上に載るか分かりませんので、あえてこの問題に触れさせて頂きますが、私はこの首相公選制の導入には反対の立場に立っています。今から8年程前に民間人を中心に「首相公選の会」というものが発足し、私も趣旨・目的を聞きに会場に足を運んだこともありましたが、私は当初からこの首相公選制の導入には疑問を感じており、最初に受けた直感的なものから、その後精査していく中で、やはりこの制度は、我が国の政治土壌や日本の政治を取り巻く、現在の環境や権力構造から鑑みて、将来に禍根を残す可能性が非常に高いと確信を持つに至っております。以下にその理由を述べさせて頂きます。

 まず一つは、制度の並立が国家運営に多大な困難を生む恐れがあるということです。私は、創憲論者ですので、67条で規定する議院内閣制の改正は、それほど問題視をしておりません。 むしろ、国民が選ぶ全国会議員と、同じく国民の直接選挙で選ばれた内閣総理大臣が発議や議決の乖離によって不安定な議会運営を余儀なくされ、逆に、首相の指導力を弱めてしまう結果になりはしないかという、権力の二重構造、制度並立の難しさを懸念しています。たとえ政党人たる国会議員から選出するにしても、直接選挙によれば必ずしも国会の多数政党から首相が誕生するとは限りませんし、国会議員以外から首相が任命されることになれば、尚のこと、制度上よほど強い権限を首相に持たせなければ議会運営は至難を極めるものと予測されます。

 二つめに、国家元首における整合性、つまり天皇陛下と公選首相(大統領に近い)との関係を明確に図れるかという問題です。 我が国は歴史を顧みても国際社会からの評価を鑑みても、国家元首は天皇陛下であって、それを未来へ堅持していくことが、為政者として自国の歴史に責任を持つことではなかろうかと思っています。

 最後に、現代の日本の政治を取り巻く環境や構造から察すれば、やはり人気投票に陥る可能性が否めないことや、マスメディアを始めとした世論を形成する過程にまつわる一抹の不安を感じざるを得ないのが正直なところです。首相公選は、一過性のブームの中で議論されるものではなく、そのメリット・デメリットをしっかり煮詰め成熟した議論が求められてしかるべきと存じます。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 政治改革

介護保険制度の問題(1)~介護予防サービス

2008年08月30日

 我が国は世界に類を見ないほどのスピードで超高齢社会に突き進んでいます。65歳以上の高齢者人口が20%を超えており、15年後には30%に達すると予測される中で、社会保障の各種制度が財政上破綻を来たし維持できなくなり、窓口負担率の引き上げや新たな負担増に繋がる制度を設けていることが、国民の社会保障制度の将来に対する危機感や不信感を増大させていると言わざるを得ません。介護保険制度も従来の老人福祉法、老人保健法では所管できなくなり、別財源に独立移行となり、平成12(2000)年4月から40歳以上の国民に負担を新たに課すことになった制度です。施行から8年が経過した今、サービス利用者や事業所など現場の声に沿って、現状の諸問題および制度の方向性も含めてしっかりと検証していく必要があります。

 制度発足から5年ごとに見直すことを定めていたことで、平成18(2006)年4月に介護保険が改正されました。実は、この改正介護保険で様々な問題・課題が露呈してきています。今回はその中で、介護予防、自立支援に重きを置いた内容改定が果たして有効機能しているのかどうか、財政軽減が先行するあまり利用者の不満を助長し、介護予防や自立支援などの目的からはむしろ逆行した実態を生み出してはないか、という問題を採り上げたいと思います。

 厚労省の策定した制度改正によって、主に要支援1,2は、地域包括支援センターの保健師が予防ケアプランを作成することになりましたが、規定変更で利用者の年齢や希望にそぐわないサービス内容になっている事例(例えば、高年齢で筋トレなどの機能訓練など)が出てきていることがまず一点。そして二つめに、同居家族がいれば要支援者は訪問介護を受けれなくなってしまうことで、家族の負担が制度の発足前の状態にまた戻ってしまっている点が挙げられます。さらに、予防給付になり単位数の関係から、デイサービスの入浴ケアが受けれなくなった例や利用回数が減らされた例も出ています。このように、厚労省が策定したサービスの一律カットによって、利用者の利便性や心身機能をも損ないかねない問題が生じてきています。要介護者への訪問介護についても、個別の事情に関わらず介護報酬が以前の1時間30分に相当する額で打ち切りになったり、自立支援の名目で家事や行動を分担していくというサービス内容の変更で利用者や家族の負担が必要以上に増している問題も無視できなくなっています。

 政府および厚労省は、要支援や要介護の利用者とその家族の実情に沿ったサービス内容を揃えていくことと、ケアマネージャーの養成に力を入れていくと共に、指導や規制権限で全てを縛るのではなく、個別の勘案はケアマネージャーに委ねていくような柔軟性や臨機性を現場に持たせていくことも考えていかなければならないと思います。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 社会保障

漁業を取り巻く問題(1)~緊急支援策~

2008年08月23日

 7月15日に全国の漁業団体、約20万の漁業者が、現在の窮状を訴えるために一斉に休漁するという、かつて無い団結行動を起こしました。それほど漁業を営む人たちが瀬戸際に追い込まれている証左であります。燃油高騰は漁業者の自助努力の限界をとうに超えており、漁に出れば赤字になってしまうという、まさに漁業者・漁村の死活問題になっています。四方を海に囲まれ、森林が国土の7割を占めることで豊富な水資源を持つことにより、我が国は古来より米と魚の食文化圏を形成し、国民生活を守ってきました。同時に、漁村の営みを維持し、海の環境を保つという公益的機能も担ってきたといえます。漁業を営む人たちの環境保護に対する意識も高く、兵庫県などでは「豊かな海は、豊かな森があってこそ」のスローガンの下での植樹活動が共感を呼び、「漁業者の森」がいくつも出来ています。今こそ、日本漁業の意義と重要な役割を再認識し、短期的救済措置と長期的再生を図っていかなければなりません。

 厳しい現状を受けて政府・水産庁は、4分野総額745億円の緊急対策措置を発表しました。燃料費補填が80億円、無利子融資枠で200億円、休漁や減船の支援に65億円、水産物の買い取り額を400億円に拡大するという内容になっています。ただ、支援は詳細な条件も付いており低条件ではありません。例えば、燃料費補填では5人以上の漁業者グループが操業の合理化や省エネ機器を導入し燃料使用量を10%以上削減する場合に補填するとなっており、無利子の融資制度も、省エネ仕様の最新型エンジンを導入する際の融資枠になっています。魚の資源回復や燃料高騰を理由にした減船支援も、果たして方向性として正しいのかどうか、減船に伴う離職者のうち6割以上が再就職できない問題も生じています。ただ単に金額を発表し対策を形の上でも講じましたという姿勢ではなく、やはりそこは漁業者や漁村の実情に沿った対策を講じていかなければ生きた対策とは言えず、更に窮地に追い込んでしまいかねません。

 漁獲量の下落傾向や水産物の輸入増加、魚価の低迷、コスト増などの本質的な漁業問題を踏まえて、いかに有効な対策を講じ日本漁業を再生させていくかが、今問われています。過去の補助金行政はバランス感覚が欠落し、業界の体質強化、競争力の向上につながらなかったという過ちを繰り返してはならないと思います。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 経済・財政

日本の林業について(1)~放置林対策~

2008年08月18日

 様々な分野で国策の誤りと政策転換を求めていかなければならない中で、我が国の林業においても、過去の林野行政の誤りを指摘しなければなりません。冒頭に、国策の誤りを端的に申し上げると、朝鮮戦争特需もあって昭和30年代から高度経済成長に伴う木材需要の伸びと価格の高騰を謳い文句に、照葉樹を中心とした天然林を伐採した跡地や原野にスギやヒノキなど針葉樹を大量に植樹する「拡大造林政策」を行政は強力に推し進めてきました。その一方で、昭和35年に丸太材の輸入自由化、37年には木材製品の輸入自由化によって、輸入木材が一気に入ってきました。これによって、国内の木材価格は下落一方となり、国策として進めてきた補助金植林が林家に潤いをもたらすという構想は絵空事に終わり、林業がなりわいとして成り立たなくなりました。結果、施策によって広げられた人工林が、間伐や伐採などの手入れのされないまま放置されることとなり、防災・保水力(水資源)などの公益機能の低下や輸入木材の席巻という日本の林業に重大な事態を引き起こすこととなりました。これは明らかに、過去の林野行政の失敗が、久しく言われる林業不振に結びついたと言わざるを得ません。

 今後は、この放置林対策をいかにして図っていくか、国内木材の需要(木材自給率)をいかにして高めていくか、そして持続可能な木材生産体系をいかにして構築していくかが重要な政治課題になってきます。この中で、放置林対策についてでありますが、現状を考えると、木材価格の低迷と国内生産流通のコスト高、森林所有者の高年齢化や不在村化、伐採や搬出など作業経費の増大により造林が放置され山が荒れる、優良木が育たずに買いたたかれると、悪循環に陥っています。このような状況下では、やはり国が積極的に間伐促進を進め、「山の再生」に介入をしていくほかないと考えます。そのためには、国内森林面積の31%しかない国有林を増やすために私有林および公有林を買い上げるか、もしくは森林の公益的機能の回復と緊急性を鑑み、私有林・公有林にまで一歩踏み込んだ間伐促進策を講じていかなければならないと存じます。国策の誤りは、行政自らが政策転換することで是正し責任を果たすほかありません。

 森を守ることがいかに国益に通ずることか、国土の7割を占める森林が水を生み食料生産をいかに助けてくれることか、災害への危機管理でいかに森林が重要な役割を果たしていることか、まっとうな政治家ならば森林保護への行動を起こさずにはいられないものと思います。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 経済・財政

危機に直面する日本農業(2)~自給率向上に向けて~

2008年08月11日

  前回は、食料自給率および穀物自給率が各々39%と27%まで低落の一途をたどった要因に、農業基本法を中心とした過去の農業政策の誤りを指摘させて頂きました。食糧安全保障という観点が欠落したままでは、日本農業が崩壊してしまうのは自明の理です。日本の食文化が変化してきたことを踏まえた上で、一刻も早く、食糧、穀物共に自給率を大幅に引き上げていくことを農政の柱に据えた国家プロジェクトを実現していかなければ、我が国の将来は危ういと言わざるを得ません。今回はいかにして自給率を取り戻していくかを考えてみたいと思います。

 減反政策による米の生産調整(抑制)は、日本の農業文化に様々な負の遺産を残してきたと、私は認識しています。米の持ち越し在庫を減らすための強制一律減反によって、質の高い優良農地までつぶしてしまいました。補助金(補償金)行政によって、農家は当局の自給施策に対する大きな矛盾を抱きつつも、稲作放棄を余儀なくされたわけです。このことが農家の誇りや耕作意欲の減退につながったことは容易に伺えます。また、生産調整に対する補償金や転作誘導への奨励金により財政支出が増大し、食管会計の恒常的赤字も生み出しました。1993年のGATT・ウルグアイ・ラウンドの合意による輸入米によって減反が更に強化され、日本農業は悪循環に陥ったと言わざるを得ません。転作、裏作の奨励も遅々として進まず、休耕田の問題が重大な懸念材料となっています。一度荒廃した休耕地を農地に戻すには相当の労力と年月が必要になってくることは言うまでもないことです。

 他の先進諸外国が一様に自給率の向上に努め、実現していることを鑑みれば、国政と官庁は過去の失政を認め、劇的な政策転換を図らなければ、日本の農業文化や原風景の再生は不可能であり、ましてや自給率の向上など望むべくもありません。まずは、これまで40年近くも続いた減反政策を見直し、単収の高い優良農地の確保に全力を尽くしていくことが肝要になってきます。同時に、休耕地や調整水田なども再生させ、少ない農地資源の無駄遣いをなくしていかなければなりません。また、小麦、大豆、飼料作物などの裏作によって水田営農の改善へ喫緊に取り組んでいくことや、地域によっては輪作を進めていくことも必要であろうと思います。需要面からすれば、主食としてのお米の消費拡大において、学校給食はもとより、幼少からの食育を徹底させることも大事になってきます。更に、農家への所得保障制度についてですが、現時点での私の考えは、仮に導入するならば対象は全販売農家ではなく、総農家戸数の15%に当たる37万戸の専業農家に絞るべきと考えておりまして、後日改めて、制度そのものへの是非論も含めて申し述べたいと思います。余剰米対策としては、国際間協定や外交慣例上の阻害を緩和させ、良質な日本米をアジアを中心とした富裕層向けへの輸出拡大やODAでの代替支給として有効活用していく策を外交戦略を図りながら考えていかなければなりません。食料安全保障そして国土保全のためにも、一次産業を再生させていくことが国家の至上責務であることは論を待たないことです。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 経済・財政

医師不足の問題について~臨床研修制度~

2008年08月02日

 全国の公立病院、自治体病院の多くが経営難に陥っており、地域医療体制は崩壊の危機にさらされています。千葉県銚子市で、市内唯一の公立病院が来月(9月)いっぱいで閉鎖になることが明らかになりましたが、それを受けての市民のコメントで、「市役所がなくなるよりも、この病院がなくなる方がよほど困る」との発言が印象に残りました。この極端な発言に、地域住民の切実なる生の声が代弁されていることを、国政、厚労省、総務省、自治体は再認識しなければならないと思います。自治体病院の赤字経営は随分前から指摘されています。10年前には既に、全国の自治体病院の約半数が補助金を投入しても赤字状態になっています。民間病院の設備および医療水準向上や数の増加に伴い、自治体病院の設立当初の目的が薄れ存在意義が問われたり、非効率な経営体質を指摘されることもありますが、救急サービスを始め不採算分野を担ってきたこともまた事実です。また、地域で唯一の公立総合病院のところも少なくないことから、地域医療現場の実態をしっかりと把握し、有効な手立てや政策の見直しを図っていくことが喫緊の課題であります。

 全国で約1,000ある自治体病院の内、10年前の5割から今や約9割が赤字経営といわれています。その厳しい経営状況に追い込んだ一つの要因として、2004(平成16)年に改正した「臨床研修制度」がクローズアップされてきています。給与や保障、労働条件などで劣悪な研修環境であった大学の卒後教育の見直しを図る目的で改正されたわけですが、施行後の新たな問題としてマッチング制度が浮上してきています。研修先を自由に選べるようになったことで、研修医が都市部の病院に集中するようになり、それを端(たん)に地元大学病院が関連病院への派遣医師を引き上げることで地方の病院で医師不足に拍車がかかり、前述の銚子市立病院のように閉鎖に追い込まれる自治体病院が出てきました。病院による医師の受け入れ競争も過剰になってきており、競争力の無い病院は地域で必要な病院でさえも淘汰されるという過酷な状況になってきています。地域医療の崩壊にも直結する医師不足は看過できないところまできており、白い巨塔で社会問題になった大学病院の医局制度の透明性といかに両立を図っていくか、今、地方の医療現場は重大な局面に立っています。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 社会保障

竹島の領土問題について

2008年07月29日

 

 韓国政府による竹島の実効支配(占拠の既成事実化)が、1952(昭和27)年に始まり、既に56年も経過していることを重く受け止めなければなりません。結果的に韓国の実効支配(ヘリポート、船舶の接岸場、宿泊施設、灯台の建設等)に対して有効な対策を講じることができなかったことは、政治と外務省の無策を指摘されても致し方なく、問題の先送りによって、後世にツケをまわしてきたと断じざるを得ません。竹島の実効支配は、サンフランシスコ平和条約が発効する3ヶ月前に、当時の韓国大統領・李承晩(イ・スンマン)が一方的に「李承晩ライン」を宣言したことに始まります。

 竹島問題の歴史的推移を見てみますと、地図上にある鬱陵島(うつりょうとう)が竹島と呼ばれ、現在の竹島が松島と呼ばれていた時期があったことが各種文献から確認されており、17世紀前半以降に漁業等で渡航していたことも分かっています。 そして、1905(明治38)年1月に日本政府の閣議決定によって、竹島を島根県に編入し日本の領有にすることが確認され、国際法上の要件も満たしました。その後、先の大戦で日本が敗戦し、行政上の権力行使の停止地域に竹島が含まれていたにもかかわらず、連合国側は領土帰属の政策を示すものではないとし、且つ、サンフランシスコ平和条約の草案起草過程において、日本に対し韓国が竹島の領土放棄を要求した主張をも米国が退けています。然るのち、ついに韓国政府は軍事占拠に及んだわけです。

 以上のことから竹島が我が国固有の領土であることは明らかでありますので、韓国の不法占拠を一日も早く退かせるとの不退転の決意で領土交渉に臨まなければなりません。自国の領土を自らで守ることは主権国家として当たり前のことです。その当たり前のことが、56年間出来なかったところに、戦後日本の外交姿勢(及び腰外交、事なかれ外交、依頼心外交)というものが象徴されています。このことを深刻に考えていかねばなりません。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 外交・防衛・領土

危機に直面する日本農業(1)~食料自給率~

2008年06月10日

 戦後日本の食料自給率が著しく低落をした要因に、1961年に制定された「農業基本法」を挙げる方が少なくないと思います。日本農業の現状、各種数値結果を見る限り、明らかな失政であり、官僚の失態とも言うべき、この法律は1999年に「食料・農業・農村基本法」に移行され廃止となったわけですが、今は過去の農業政策を様々な角度で検証し、本質的に見直すと共に、現場である農家の声も汲み取った内容へと転換しなければならないと考えます。農業基本法が制定される前年の昭和35年に、食料自給率および穀物自給率が各々79%と82%あったものが、基本法の制定後は低落の一途をたどり、直近の平成18年には各々39%と27%まで落ち込んでいます。エネルギー政策と同様、国益や国家戦略上、その中核を成すはずの食料政策をおろそかにしてきたツケは極めて大きいと言わざるを得ません。今、仮に有事や飢餓が発生すれば、各国は輸出を緊縮して国内供給を優先するのは明らかで、我が国の食生活は、たちどころに立ち行かなくなります。

 先進諸外国と比べると更に、我が国の食料自給率の凋落がいかに深刻なものであるのかが分かります。アメリカは昭和36年の119%から平成15年に128%に上昇、イギリスは同42%から同70%に上昇、フランスは同99%から同122%に上昇、我が国と同じく先の大戦で敗戦したドイツも同67%から同84%に上昇しているわけです。このことからも、日本の自給率低下が先進諸国の中でも日本特有の現象であることが理解出来ると思います。

 食料自給率の低下を、食生活の変化や米の消費減退、畜産物や油脂等の消費増大に原因があるとする前に、過去の農政の失敗を自覚することがまず先であり、それが出来なければ、同じ轍を踏み、日本の農業はまさに崩壊してしまうのは自明であろうと思います。農業基本法に、「食糧安全保障」という観点が欠落しており、作物の選択的拡大生産や農家の自立など、掲げた目標の達成も図られていない現実を考えていかなければなりません。

 8年前に公表した「食料・農業・農村基本計画」で、初めて食料自給率の目標を定めたことは一定の前進ではありましが、残念なことに現状において掲げた目標を達成する可能性は低いと言わざるを得ません。公表から10年後、即ち2010年度の目標数値が、食料自給率の45%に対して2006年が39%(前年比-1%)、穀物自給率が30%に対して27%(前年比-1%)になっている次第です。今は、農水省の功罪をしっかりと検証し、机上の論理ではなく現実を直視し、現場を知悉した上で、政策を立て遂行していかなければならない時だと思います。

 存亡の危機に立たされる我が国の農業について、第一回目は食料自給率という農政課題を取り上げました。今後順次、様々な農政課題について問題提起してまいりたいと思います。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 経済・財政

自民党の党是:自主憲法の制定に向けて(2)~前文~

2008年05月29日

 第1回は憲法を考えていく前提として、その成り立ち・成立の過程について触れ、国民が自らの手によって憲法を創る、自主憲法を定めることの意義を書かせて頂きました。 今回から、個別の内容に入っていきたいと思いますが、まず前文について考えたいと思います。前文は、日本という国がどういう国なのかが日本国民はもとより諸外国の人たちからも分かり、併せて、国家の理念、国の目指すところが何なのかということを明記することが肝要になってきます。

 現行の日本国憲法の前文を読んでみますと、始めの段落に、人類普遍の原理として、主権在民の宣言と選挙で選ばれた国民の代表者が権力を行使し、その福利は国民が享受する、とあります。そして次の段落では、日本国民が恒久の平和を念願することと、全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有することを確認する、とあります。そして三段目に、いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならないという普遍的な政治道徳を謳っています。

 下に添付の憲法前文から、細かい内容で腑に落ちない点を順に申し上げると、1点目が下線①の部分です。過ちを政府の行為とはねつけるのではなく、国や先祖の責任を自らの責任と捉えることで、国への帰属意識(愛国心)や参政の意識も高まり、能動的に国家の存在価値を高めていこうと意識付けが出来るわけで、国家と国民を切り離す行為、政府と国民が一体であることを否定することは、引いては、自国の力を弱めることに他ならないと考えます。2点目が下線②の部分で、他国民の性善説に我が国の安全と生存を委ねるとは、主権国家としてはあまりにも危険で、かつ受動的過ぎると考えます。これでは自国への誇りや国際平和に向けて主体的に取り組もうとする力を培うことは難しいものと考えます。そして3点目の下線③の部分ですが、日本語の使い方もさることながら、理念が先行し、どこの国の憲法か分からない内容になっています。

 しかし何と言いましても、残念ながら、この前文では大事なことが欠落していると言わなければなりません。その欠落しているものが、我が国の悠久の歴史であり、伝統や文化であり、国の矜持なのです。 また、日本語の使い方も、もう少し分かりやすく、親しみやすい文体に変えていく必要があると思います。なお、前文が国連憲章(国際連合憲章)に似通っているところに、国籍不明となってしまう所以があると考えます。

 最後に、自主憲法を制定するにおいて、前文をつくる際に押さえておくべきポイントを下記に挙げたいと存じます。

 一、我が国の伝統精神~「和を尊ぶ」「衆知を集める」「主体性を持つ。主座を保つ」
 二、自然を畏れ、自然と共生をする文化
 三、有史以来、天皇陛下が日本の元首であり、これからも我が国の発展と共に歩まれること
 四、国際平和、諸国民の共存互恵の実現に資するを国家の目指すところに置く
 五、国民の自由と権利を尊重するとともに国家の一員としての責任も有す
 六、国と国民が共に、新しい国づくりへ進むことを期す

◆【自民党:今こそ自主憲法の制定を(自民党ホームページ「コラム」】~平成26年(2014年)10月に追記

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 憲法改正

公職選挙法改正の方向性について

2008年05月15日

 公職選挙法の改正に向けての動きを注視しています。自民党の選挙制度調査会が選挙運動の規制緩和について主な8項目について合意され、今後は野党とも調整し、今国会中にも議員立法で改正案を提出することが3月11日に了承されました。 今国会の会期が残り1ヶ月弱に迫ってきている中で、未だ法案が提出されない現状に懸念を抱きつつも、「世界でも類を見ない内容」とも言われる我が国の公職選挙法において、時代にそぐわない内容や必要以上に規制がかけられた内容については、国政に携わる者の責務として、そして何よりも国民が政治との接点をより深め政治への関心を高めていく上でも、一刻も早く改めるべきであろうと考えます。合意内容について、当初の報告書案では明記をされていたものが反対論が相次ぎ盛り込まれなかったものがあります。具体的には、政党や団体の政治活動用ポスターの選挙前一定期間内(任期前6ヶ月以降に横行するの政党二連ポスター)掲示禁止や慶弔電報の禁止などです。やはり、政党人(公認者)や現職の優位性は保っておきたいとの思惑が無いとは言い切れない内容です。一致した項目で主なものは、屋内演説会場での映写の解禁や選挙カーの車種緩和や取り付ける文書の自由化、選挙ポスターの規格統一などです。しかし、もっと実態や時代に即した改正案、例えば、インターネット選挙の全面解禁や政党候補者と無所属候補者の選挙運動における様々な差別の撤廃や事前規制などについて踏み込んでいかなければ、有権者のための法改正とは言えないわけです。

 投票率の低さや選挙への無関心が改善されない一つの要因に、公職選挙法を挙げている方が少なからずおられます。候補者について限られた情報や方法でしか入手が出来ない現行の公職選挙法では、有権者に正確で分かりやすい情報の提供を阻害しかねないとも限りません。良い候補者を選定するために欠かせない、国民の知る権利を十分に満たした選挙法へと改めていく必要があります。民主主義の根幹を成す選挙制度は、もっと国民や有権者に開かれたものでなくてはならないと考える次第です。

右松たかひろ

2008(平成20)年度, 選挙制度

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