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2012年04月10日
(右上は護国神社内にある先の大戦で亡くなられた英霊の遺品を展示している「遺品館」)
本日、宮崎県護国神社にて、「例大祭」が、宮崎県戦没者等慰霊奉賛会の主催で執り行われ出席いたしました。例年よりも多い、1,600人もの方々が参加されました。宮崎護国神社は、終戦後の昭和30年3月に建立されており、宮崎県では日清戦争以来の戦没者数、37,601柱の御霊が祀られていることになります。なお、以下の表が、宮崎県在籍者の、時期別、戦没者の人員数になります。
時期別 | 人員 |
日清戦争 | 102 |
日露戦争 | 981 |
一次大戦・シベリア出兵 | 120 |
済南事変 | 10 |
満州事変 | 166 |
日華事変 | 4,213 |
太平洋戦争 | 27,633 |
昭和20.9.2以降 | 4,376 |
計 | 37,601 |
先の大戦では、27,633人もの方々が軍人として亡くなられていますが、今の我が国があるのは、そういった方々の尊い犠牲があったからこそですので、英霊の方々に深い敬意と感謝の念を抱きながら、玉串をあげさせていただきました。
右松たかひろ
2012年04月08日
本日、宮崎空港近くにて「宮崎特攻基地慰霊祭」の追悼式が執り行われました。宮崎空港近くの慰霊碑には、先の大戦において、宮崎特攻基地から飛び立った特攻戦没者の御霊(みたま)、ならびに昭和20年3月の宮崎大空襲で亡くなられた方々、そして航空大学校の訓練中に殉職された方々を合祀されており、多くの方々が慰霊祭に参列されました。
慰霊碑のあるところは、旧海軍赤江飛行場宮崎海軍航空隊跡地になり、ここから、特攻機の搭乗員140名、陸海攻撃・雷撃作戦に搭乗員605名が出撃しています。我が国の防衛のために、多くの若者が崇高なる自己犠牲をされたことは決して忘れてはならないと考えます。英霊に、深い感謝と畏敬の念を持ち、献花をさせていただきました。先人の足跡をしっかりと胸に刻み、英霊の皆さまに安心していただけるような国づくり、地域づくりに、努めてまいりたいと決意しています。
右松たかひろ
2012年04月06日
4月から中学1年生になる息子の入学式に出席しました。早いもので、「もう中学生になったんだなー」と実感しました。私の母校でもあるので、感慨深いものがあります。校歌も生徒たちと一緒に歌わせていただきました。
息子には、ぜひ有意義な中学生活を送ってもらいたいなと願っています。入学式が終了し、クラスに行きましたが、担任の先生が子ども達に、卒業生が歌った「ハレルヤ」を聞かせてくれました。卒業生がハレルヤを歌うのは母校の伝統でもあります。27年前を思い出し、また、3年後に息子の歌う姿が目に浮かびました。
右松たかひろ
2012年04月03日
宮崎神宮にて「神武天皇祭」に参列しました。この祭祀は、初代天皇の神武天皇が崩御された、4月3日に毎年行われている宮中祭祀になります。皇室では建国以来悠久に行われており、「神武天皇祭」としては幕末の孝明天皇時代に御陵祭として始まり、明治4年に規則化、明治41年に「皇室祭祀令」で法制化されました。
祭典に先立ち、神武天皇の御陵である奈良県橿原市の畝傍山に向かって遙拝式を執り行いました。その後、拝殿で神事が行われ、私も玉串を奉納させていただきました。なお、午後2時からは恒例の「神事流鏑馬(やぶさめ)」が斎行され、多くの人が訪れました。
右松たかひろ
2012年04月01日
桜が八分咲きほどになり、その美しい姿に見とれ、豊かな心もちにしてくれます。今日は、家族を含め、多くの人たちで、桜の木の下で「食事会」を行いました。ちょうど1年前は、県議選の真っ最中で、もちろん花見を楽しむ時間もなく、ひたすら選挙戦に没頭していました。まわりの方々にも選挙のお手伝いで、ゆっくりとお花見もできない環境にしてしまい、心苦しく思った次第です。今日は、1年前の選挙についてもいろいろと語り合いました。そして、桜の木の下で味わう料理はやはり格別なものがありました。感動と感謝の気持ちでいっぱいになります。
右松たかひろ
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